人間、長く生きていると、こんなにも物を貯めこんでいるものなのかと最近驚かされています。
自分にですが。
断捨離を初めてから9か月たちました。
ここまで断捨離してきて気付いた気持ちの変化を紹介します。
物が減ると、想いは変わる
まさしくこれなんです。
断捨離を始める前までは、持ち物すべてに思い入れがあり、想い出もあり、コシタツ若かりし頃の青春そのものだったんです。
極端な言い方をすると「所有物=コシタツの人生」に感じていました。
でも、それだと断捨離が進まないので、まったく使わなくなった物を優先的にピックアップして処分しました。
処分の方法も、本当に要らないと感じたらゴミ袋に直行させ、価値があるかもしれないと感じたらネットオークションに出品しました。
【断捨離】のんびり・ゆっくり断捨離のススメ。ネットオークション編
そして、物と気持ちがシンクロしているものに関しては、見て見ぬふりをして後回しにし、出来そうなものから手を付けました。
想いの外堀から攻める
この処分方法が後々効いてきたのです。
300冊あったオートバイ雑誌も、あまり興味が無く読まなそうな雑誌から処分していき、思い入れのある(かつて自分が乗っていたバイクの特集記事など)雑誌は別にして保管していました。
【断捨離】バイク雑誌はヤフオクでは売れませんでした。心を鬼にして、廃品回収に出します
本当はまとめて捨てる予定だったのですが、土壇場で決意が揺らぎました。
しかし、雑誌をまとめて処分してから数か月すると、その時はあれほど処分するのに抵抗のあったお気に入りの雑誌に対して、かつて程の想いを抱かなくなっていたんです。
以前だったら、断捨離していく過程で残った物って、もはや自分自身の聖域の様な気がしていたのですが、それほどでもなかったようなんです。
おそらく、オートバイ趣味のグッズが減っていくにつれて、自分の中でオートバイに対する想いもデノミされていたのだと思います。
言い方を変えれば、コシタツとオートバイを繋いでいた接点がほとんど無くなってきたのでしょう。
想いの断捨離が成功?
こうなってしまうと、後はもう処分するなり、オークションに出すなりがすんなりと行えるようになりました。
雑誌以外にも大量のバイク用品、バイクパーツが小屋にしまってあるのですが、それに対しても想いがなくなりました。
100%完全に無くなったわけではないのですが、価値があるうちに処分しように考えが変わりましたね。
自分は使わないけど、必要な誰かのもとに行って使われてくれる方が、道具としても満足だと思います。
寂しさはあるが、自由だ
物が減る事に対する、一抹の寂しさが無いわけではないのですが、それよりも物に囚われない身軽さを実感しています。
処分しちゃうと、処分するまでは「早く、オークションに出さないと」や、「整理すれば大丈夫かな」「いつか使うかな???」なんていちいち考えていたことが、まったく考えなくてもよくなります。
それだけでも、頭の片隅でモヤついていたのがスッキリします。
まあ、まだまだ処分しなければならない物は沢山ありますが…
アイデンティティに関する物は断捨離してはいけない
ただし、断捨離してはいけない物もあります。
それは道具です。
それも、PC等のデジタルな道具ではなく、レンチやドライバー、ノコギリなどのアナログな道具たちです。
道具は壊れた物を修理したり、新しく何かを生み出せるものなので、これだけは絶対に処分してはいけません。
これは本当にコシタツの、もの作りの現場に携わる人間としてのアイデンティティに関わる部分なので、これを処分する時は僕が死んだ時か、激烈に世界が変わった時だと思います。
今のところこんな感じで断捨離していますが、意外とゆっくりですが粛々と進めていますよ。
いきなり全部捨てちゃうのも悪くはないと思いますが、僕のやってる「のんびり・ゆっくり断捨離」もオススメですよ。
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