ロードバイクで転倒、落車し、救急車で運ばれてそのまま入院して4日ほど経ちましたが、骨折した大腿骨転子部は相変わらず痛みますが、ジーっとして動かさなければそれほど痛くない感じです。
それよりも、脚が動かせない事でちょっとした問題が生じてます。
※個人の大腿骨転子部骨折とリハビリ体験記なので、個人差があるのであしからず。
くるぶしが床ずれ
骨折した右足は、つま先を外に向けた状態で股関節から外側に開いた外転と呼ばれる状態で、自力では動かせません。
そこで何が起きたかと言うと、足首外側のくるぶしが床ずれを起こしてしまいました。
実は入院2日目ぐらいから、なんだかチクチク痛みが出てきてたのですが、それよりも骨折箇所の方がひどく痛んでいたのでそれほど気には止めていませんでした。
しかし、4日目くらいになると動かさなければ骨折箇所の痛みはそこまでではなく、逆にくるぶしの痛みの方が目立ってきました。
検温の時に看護師さんに相談してみたところ、褥瘡(じょくそう)ができているということでした。
褥瘡とは聞きなれない言葉でしたが、簡単に言うと床ずれです。
スリスリしていると痛くてたまらないので、ワセリンを塗って大きめのガーゼを貼ってもらいました。
これは意外と治るまで時間がかかり、手術をして右足の外転が直ってからもしばらく治療は続きました。
一応ひどくならないような対策として、右足ふくらはぎにタオルを丸めたものを挟んだりしましたが、足を上げることで骨折箇所の痛みがひどくなったりして、結局やめてしまいました。
自力で足を動かすことはできないので、同じ姿勢で辛くなった時は手で足を持ち上げるか、ベッドの縁に足の指をかけてちょっとだけ移動させたりとかはできました。
手術前日の準備と説明
さすがに手術前日なので、やっとここから治療開始か、やっぱり手術は怖いな、事故した勢いでそのまま手術してくれればよっぽど気持ちは楽だったのにな、とか色々と考えちょっぴりナーバスにはなっていました。
手術前日は看護師さん麻酔科医が来て、手術の同意書、麻酔についての説明があったと思います。書類が沢山あったはずで、家族などの付き添いが居れば一緒に説明を受けてサインするはずですが、家族は遠くて来れないので、口頭で説明を受けてそのまま手術って感じでした。いまいち記憶が不明瞭です。
執刀医も来て「明日は頑張りましょう」と励ましの言葉をもらったり…
寝ながらシャワー
手術前日の準備としてはシャワーを浴びて体をきれいにします。
さすがにいろいろうまくできているもので、病室のベッドのままシャワー室まで移動して、シャワー用のストレッチャーに薄い板を介してお尻でズリズリと移動します。
あとはもうなすがままで、看護師さんたちに全て服を脱がされ、股間にはタオルをけて、そのまま人間用の洗車機みたいな装置に首下まで入ります。
装置の中は横から上からとミストシャワーが吹き出しており、大変気持ちが良いです。手が届くところはタオルでゴシゴシ洗います。
一度外に出され、洗えない場所を看護師さんに洗ってもらいます。もちろん頭も洗ってもらいました。そうそう、全身麻酔での手術のため、気道に挿管するので髭もそってもらいます。
盲腸の手術の時は陰毛も剃毛したのですが、大腿骨の手術の時は剃毛する必要はありませんでした。
事故当日から一度もシャワーも頭も洗っていなかったので大変心地よいです。
最後にもう一度ミストシャワーを浴び、汚れを洗い流します。
洗い流したら、バスタオルで拭けるところは自分で拭いてできないところは看護師さんにアシストしてもらい、ベッドに移動して室内着に着替えます。
全身キレイになり、大腿骨転子部以外はすっきりと生き返った気持ちです。
コロナウィルス検査
コロナウィルス検査もしました。
唾液を採取する物だったので、痛いとかはありませんでした。
採血もしたような覚えがありますが、前日では無かったようなきがします。
21時から絶飲食と下剤
久しぶりにお風呂に入ってさっぱりした後は、夜21時以降の絶飲食。
夕ご飯は普通に食べられました。
夜21時になると下剤を飲んでくださいと2粒ほど薬を渡されます。
下剤はそれほど強力ではなく、だいたい6時間後ぐらいに効果が現れ、これでうんちが出ないようだと朝に浣腸をするようです。
実際は夜から朝にかけて3回ほどトイレをしたので、浣腸はしないで済みました。せっかくお風呂に入ったのにお尻が汚れてしまった感じがして、なんだかモヤモヤします。
看護師さんによって、お尻の拭き方が丁寧な方、雑な方がいたので雑な方に当たるとお尻にうんちの拭き残しがついてるような気がして嫌でした。そんなことはないんでしょうけども…気のせいだと思いたいです。
夜は憂鬱
明日は体を切られて金属を入れる手術をするのか…やっぱり術後は痛いよね…とか、麻酔は無事に醒めるよね…とか考えると、鬱々と憂鬱な気分になったり、しかしやっと治療の第一歩がスタートするのかとの希望の気持ちが入り混じる何とも言えない気持ちでした。
まあ、正直手術をしないといつまでも何も始まらないんですけどね。
病院の夜は長くて、18時に夕食を済ますと23時頃に眠りにつくまでモヤモヤ、鬱々していました。
もちろん夜は痛みと寝返りをうてない辛さで1、2時間おきに目が覚めます…
そんな時間を過ごしつつ朝を迎えます。
大腿骨転子部骨折 手術当日
ロードバイクで転倒、落車し、救急車で運ばれ、そのまま入院して5日経過です。
やっと手術日です。
痛みと不安と期待であまり眠れない夜を過ごし、病院がにわかに騒がしくなってくるともう6時頃だったっりします。5時ごろから眠れずにうつらうつらと起きてはいましたが…
手術当日朝
昨晩21時から絶飲食なので、朝食は無しです。水も飲めないのですが、それほど喉は乾いていない。
手術室に入るのが9時半からなので、7時ごろからいろいろと準備のために看護師さんが現れます。
まずはレンタルの入院着からペラペラテロテロの手術着に着替えます。手首に点滴を刺し、右手側の甲に手術する足を間違えないように〇印を書いて準備完了。
しばらくすると執刀医と看護師長が病室を訪れ「頑張りましょう」との励ましを頂く。
気分としてはまな板の鯉なので、全身麻酔でサクッと眠ったら無事に手術が上手くいくのを願うばかり。
ただ、眠って起きたら体に傷が増え大腿骨転子部に金具が挿入されてるのを想像すると…「なんて大怪我をしてしまったのだろう…」と元に戻せない悲しさというか、ロードバイクに後悔はないけど、自分の不運さに腹立たしくなったりと複雑な感情が入り乱れる。
全ての準備が終わったら看護師さんが迎えに来るまで、ちょくちょく時計を見ながら待機。
手術しないと始まらないので、妙に落ち着いた気分だったのはよく覚えている…
5分前に看護師さん2名が来て、血栓予防の窮屈な靴下を左脚だけはかされ、ベッドごと手術室まで移動です。
手術室と母親
ベッドごと移動中、大きな病院なので外来患者が沢山おり、ベッドで横たわる自分とちょいちょい目が合って、なんだか重病人みたいな気持ちになり、あまり良い気分ではありません。
手術室手前で予期せぬ人物が待っていてくれました。
母親です。
アラフィフの愚息がしょうもない自転車の自爆事故で手術なんて恥ずかしくて堪らないし、命に係わる様な手術でもないから、はるばる遠方から来なくてもよいとは伝えてあったのですが、来てくれたようです。
わざわざ来てくれた事への感謝と、くだらない自爆事故を起こしたことをもう一度謝り、数分ほど会話をして手術室へ。
手術室手前の大き目な部屋で担当の麻酔科医と挨拶。記憶が曖昧なのだが、病室ベッドから移乗はしないで、そのまま手術室に入ったような気がします。
2度目の手術室だけど、良い気分ではない。しかも、視界には右足を固定するような初めて見る器具もあり、「あれを使うのか?」と、にわかに緊張感が高まります。
手術室には執刀医と麻酔科医、その他看護師数名がおり「今日は邪魔にならないように頑張って眠っているのでよろしくお願いします」と挨拶をする。
皆が笑ってくれたので、すこし緊張感がほぐれた感じに。
もう、後戻りは出来ないのでなすがままです。
後はテキパキと作業が進み、「麻酔入れますね」と同時に点滴から左手首を通して腕が少しビリビリして全身麻酔の薬が入ったと思ったら…
手術が終わってました。2時間ほどの手術でした。
手術の後
なんかふわふわした楽しい夢を見ていたら急に名前を呼ばれて「終わりましたよ、無事に終わりましたよ」って声で強制的に目覚めさせられ、せっかく楽しいのになんだよって思ったら、母親や看護師さんの顔が見え「あ~、終わったんだ」とそんな感じ。
目覚めると、突然体がガタガタと震え始め、顎までガタガタと震える始末。寒いというか、ただただ震えていて、その震えっぷりに急に怖くなり「駄目だったんだ、このままなんか死んじゃうんだ」と恐怖におののいていたら、看護師さんは慣れたものでよくある事ですとのこと。
後から聞いた話ですが、手術室はとても寒くて、中に居る医師や看護師は寒くならないように結構着込んでいるとのことでした。
だから、ほぼ裸同然で手術している患者は手術が終わると寒くてガタガタと震えてしまうようです。
今回の手術ではそのまま病室に帰りました。眠っている間にベッドの移乗なども終わっているので、本当に眠っているだけで全てが終わりました。
病室についてもガタガタと震えは止まらず、看護師さんが電気毛布を用意してくれました。
病室では手術をしてくれた先生と母親が話をしに来て、先生からは「しっかり固定したので全荷重大丈夫ですよ」とのことでした。
手術後3時間くらいは酸素マスクをつけてないといけないみたいで、さらにガタガタ震えもあって、なかなか上手におしゃべりができないので、少しばかり話して母親は帰りました。
ガタガタの震えは病室に戻ってから2~30分ぐらいで収まったような気がします。収まった時は「あ~、助かった」と心底ほっとしたのを覚えています。
暑くなったので電気毛布は外してもらい、14時半頃には酸素マスクも外れました。
酸素マスクを外せると水を飲んでもよく、前日からの絶飲食もあって喉がカラカラに乾いていたので久しぶりの水分は喉を潤すどころか、全身に染み渡るような感覚です。
そして、驚いたことに骨折で外側を向いて開くようになってしまった右足は、手術後は左足と変わらずまっすぐ向いていました。これには驚かされました。
術後の痛みは…本当に痛かった
酸素マスクも外され意識もはっきりして、客観的に自分を見ると色々な装置が体につけられていました。
両足のふくらはぎにはには血栓防止用の電動ポンプみたいなのが取り付けられており、一定時間間隔で膨らんだりしぼんだりしてふくらはぎをマッサージします。
点滴からは抗生剤。体には心電図用のセンサーがたくさん取り付けられていました。
尿道にはバルーンと呼ばれる管が入れられており、おしっこは自動排出です。
時間の経過とともに、手術箇所がものすごく痛くなってきました。
右太ももは2㎝くらいの傷が2か所、5㎝くらいの傷が2か所出来ています。やはり大きく切り開いた外側広筋と中殿筋の傷口が非常に痛くてたまりません。もちろんそこだけではなく、右足太ももからお尻にかけて鈍痛と言うか鈍いつらい痛みが広がっています。
大腿骨と転子部にはガンマネイルと呼ばれるチタン製の金属が挿入固定されているのですが、その入ってる感覚とかは特に感じなかったです。
手術日の日記を見ると、痛い痛い、ものすごく痛い、どんな体勢でも痛いと、痛みしか書いてなかったので、よほど痛かったのだと思います。
もちろん痛み止めの薬を2種類ほど飲んでいましたが、術後24時間の痛みは半端なく、リクライニングを駆使したり、アイスノンや足にバスタオルを挟んだりして少しでも痛みが和らぐように努力はしました。
こんなにものすごく痛いのに、明日からリハビリが始まると考えると大変に憂鬱です。
確か夕食は通常食が出たと思いますが、ちょびっと食べて残した記憶です。
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