【断捨離】弱い心を断ち切るために、断捨離は完遂しなければなりません

週末は地道に【断捨離】を続けているコシタツなんですが、悲しくて涙が出そうになります。

過去のしがらみたち

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過去を断ち切るのが辛い

なぜかと申すと、【断捨離】をするためには過去を断ち切らなければいけません。それが断捨離の【断】の部分です。

しかし、この【断】の過去を断ち切る作業が切なくて辛くて、自分のしてきた行為、行動が否定されてしまうような気がするんです。

物との想い出たち

物を買った時、集めたりしていた時は必要があったから購入したわけで、決して思い付きで購入したわけではありません。お金を払って買うまでには、それなりにの葛藤や逡巡があったわけでそれを乗り越えた上での決断だったんです。

少し大げさですが…

特に趣味の道具だったりしたものは、その趣味を止めたと同時に必要なくなってしまうのですが、趣味の期間が長かったりするとそれだけ道具や物に思い入れがあったりします。

僕の場合は結構極端で、止める時は『ズバッ』っと完全にやめます。

完全にやめるので道具を持っていてもしょうがない為、捨てるなり売るなりの処分をします。

処分している最初のうちは『ずいぶん道具を買ったな~、これもあれも売れそうだ』と思って仕分けしているのですが、その道具たちがどんどん売れていって残り少なくなってくると、後ろ髪を引かれる気分での【断】が続くんです

『もう、やらないんだよ。必要ないんだよ。あの時は楽しかったな…、この道具は使ったよな…嗚呼、もう昔には戻れない…うううぅぃぃ(涙)』

その道具たちとの思い出や関わり合いを断ち切って処分しなければならない気持ちは、楽しかった趣味と一緒に過ごしてきた、自分の人生の一部分を引きちぎって捨てるかのような気持ちなんです。

大げさに言うと、過去の自分を否定しているような感覚になるんです。

強い心で断ち切る

【断捨離】を進めて、棚や押し入れに隙間が生まれて空間に余裕が出来てくると、僕の心の中に空間が出来てきて寂しくなるんです。

また、なにか代わりの物で空けたはずの棚や押し入れの空間を埋めたくなるんです。そしてまた何かを始めて…

それを繰り返した結果、中途半端に必要のない道具が押し入れ、裏小屋に溢れかえるようになりました。

けど、それじゃぁなんのための【断捨離】だか分からなくなってしまいます。

今回は人生の節目も迎えているので、強い心で【断捨離】を完遂しなければいけません。

物に依存した人生を一度リセットするんです。したいんです。

 

10年以上も使っていない物はもう使わない!…ダメか。5年以上しまってあるものは処分する!

僕はすぐに再利用とか、いつか使いそうって考えちゃうんですが、上手くいく再利用なんてレアケースで、テーブル再生作戦が珍しく上手くいっただけなんですよね…

 

この性質を変える事は、ある意味自分の生き方を変える事でもあるので簡単ではないでしょう。

 

過去の想い出は、想い出として心のストレージに保存しておき、道具との思い出に囚われる弱い心を【断】”たつ”ことを本気でしないといけないようです。

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