湯川さんの死がやけに悲しい。
ネット住民どころか、日常生活の中でも『なんだか痛い人』あつかい。
もう少しHARUNAのブログが自己陶酔感丸出しで書き連ねてなければ、こんなヒドイ言われようではなかったと思う。
実業家の顔
ただこの人、会社を数社立ち上げている実業家なんですね。高校を卒業して数年で、日高屋を設立します。一説によると不動産業で財を成した父親に融資してもらったことになってます。
有限会社 日高屋(1997年設立~2005年倒産)
スターマーク株式会社(リンク切れ)(2009年設立~?)
PMC JAPAN(2014年設立)
父親の証言ですと、日高屋を倒産させて夜逃げ同然にいなくなったのが2005年で、借金を父親が肩代わりしています。その後、2013年まで親子断絶状態が続きます。シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂…渡航の背景を父が激白
2008年に人生に絶望して自殺未遂をしているんですよね。そして・・・、
2009年にスターマーク株式会社を設立していることになってます。
この一年間で動きがあったみたいですね。過去にコネのあるスポンサーが雇われ社長にしてくれたのでしょうか?それとも単純に設立年のタイプミス?
このわらし仙人の記事からですと、株式会社ユニバーサルエンターテインメントが出資していると考えるのが普通でしょうが、この記事自体が信憑性にかけますね。スターマーク株式会社については全然情報が出ないです。
ただ、HARUNAのブログから読み取れることは、日高屋倒産は人に騙されたことであり、夜逃げ後はネットオークションで収入を得ていたようですね。出荷に半日以上もかかることからそれなりに忙しかったと考えられます。おそらくミリタリーグッズの転売ではないでしょうか。
PMC JAPAN設立
湯川さんは2013年12月に突然実家に帰省して、2014年1月にPMC JAPANを設立していますが、設立経緯がはっきりしていないですね。
◆企業名:PMC Co.,LTD
◆会社ホームページ:http://www.privatemilitary.jp/
◆本社所在地:2-7-4 Aomi,Koto-ku,Tokyo,Japan
◆海外支店:Thailand, India,
◆役員
・ Haruna Yukawa (CEO)
・ Takahiro Kanzaki (CFO)
・ Kyoichi Koide (Director)
・ Masakazu Hattori (Director)
・ Takamitsu Tozawa (Director)
◆顧問
・ Nobuo Kimoto (Auditor : Prefectural Assembly)
・ Masaaki Kuniyasu(Auditor : An Ambassador)
・ Masaru Iida (Advisor : DeNA Co.,Ltd.)
◆TEL:81-3-3527-6502 FAX:81-3-3527-6503
◆資本金:3,000,000
◆事業内容
国際民間軍事業、国内外警護、海上警備、
後方支援業務、紛争地域での護衛、など
◆主な所属団体
・自衛隊援護協力会
・千葉県警察友の会
・隊友会
・偕行社
・日本国防協会
PMC JAPANウェブサイト内にある、CEOのブログから抜粋です。
所属団体が、いろいろと書いてありますが、湯川さんは元自衛官でも予備自衛官でもないはずです。退官者の仕事先の斡旋でもしていたのでしょうか?偕行社と日本国防協会はお金を払えば会員になれるようです。
所在地には事務所すらありません。
ただ、本社所在地とされるオフィスビルに事務所はなく、看板も見当たらない。取締役として名を連ねる公認会計士の男性は、「今年1月頃に自分の事務所に連 絡があり、設立を相談された、顧客と会計士の関係でしかない。それまで面識はなく、3月に役員の退任を申し入れた。私が関わった期間で、会社は動いていな い」と説明する。
あくまでも僕の予想なんですが、父親に無心しに帰ってきたんじゃないかと思います。ネットニュースを見ていると相当に甘い父親な感じがします。父親からの融資によってPMCを立ち上げたのだと思います。
人脈と政治団体
ネット上だけでは良く分かりませんでした。たぶんですが、先の偕行社と日本国防協会などの会合を通じて獲得していったのではないのでしょうか?PMC役員も名義貸しの人がほとんどではないでしょうか。その中でも、現実に知り合いで付き合いのあった木本信男さんによると、
PMC顧問で元茨城県議の木本信男氏(70)によると、湯川さんは以前、米国や英国から軍事物資を輸入し、自衛隊に納入する仕事に携わっていたという。
とあるが、これはミリタリーショップを経営していた時の事なのか、スターマーク株式会社の時の話なのか分かりません。
ちなみに、木本さんの御子息である木本信太郎さんは湯川さんの立ち上げたアジア維新の会のメンバーのようです。
■千葉県事務所
〒 262-0032 千葉市花見川区幕張町 6-73-101
担当 : ゆかわ 080-8715-2475
■茨城県事務所
〒 310-0851 水戸市千波町 127-2
担当 : きもと 029-241-9100
アジア維新の会 シリア内戦 国内支援募金
ゆうちょ銀行 募金口座
記号 10570 番号 46991281
名義 : アジアイシンノカイアジア維新の会
(※日本維新の会とは直接関係は御座いません。)
ご協力者、ご支援者様は下記にてお知らせくださいませ。
同時に一緒に活動して頂ける方々を募集しております。皆さまの温かいご支援をお待ちしております。
湯川さんの渡航費用などの活動資金はここからでていたのでしょうか?それとも、1度目のシリアとイラクでの活動情報が売れてまとまったお金になったのかもしれません。
ネット情報だけ判断すると、湯川さんが一方的な憧れを抱いて保守系政治団体、政治家と接触していただけだと感じますし、まことしやかに語られるような政治的な使命を帯びてイラクやシリアに行ったわけではないと考えられます。
一体なに者になりたかったのか?
PMC設立とHARUNAのブログを読むことで見えてきたのが、この人は他人に認められたかったのではないでしょうか。それも、本物の軍人からです。本来ならば、自ら一番危険な戦闘地帯に足を踏み入れる必要性はなく、PMCで元軍人や戦地経験者と契約してマネージメントをしていればそれで問題なかったはずなんです。でもそれでは駄目だったんです。それは湯川さん自身が強い人、認められる人になりたかったからでしょう。
高校卒業後に一度でも自衛官になっていればこんな風にこじらせずに済んだのかもしれません。
本質的には弱くて優しい人なんだと思います。だからこそ、その弱い部分を隠したくてそれがミリタリーオタクへと向かわせたのではないのでしょうか。しかし、知識は人一倍あって、情熱もあるのだが、足りないのはリアルな自分だったんです。元自衛官や現役の方とは絶対的に違うと感じていたのでしょう。
そこで、その空いた隙間を埋めるには紛争地帯での実戦経験しかなかったんだと思います。自衛隊は海外派遣でも後方支援ですから、実際に敵と機関銃を撃ち合うことはありません。だからその場所で、リアルな戦闘を経験すれば憧れの自衛官よりも立場が上になると考えたのでしょう。シリアは本物の戦場です。自衛隊の演習ではありません。
なぜシリアへ向かったのか?
だからこそ通常であったら、安全な場所から段階を踏んで、その道の先人たちからいろいろと教えてもらいながら行くべき道を一気に駆け上がろうとしたんです。
その自己実現の果てがシリアだったんだと思います。HARUNAのブログでも書いてあるように。
今回のブログは読んでて皆さんも思っただろう。そんなに書きたい内容が無いのだ。なんと言うか最初に、世界で一番危険な国と言われる、シリアを経験してしまっているからだ。
ただ、そんな湯川さんに後藤さんはこのように感じていたようです。
「会社をつくったばかりで、実績や経験を積みたい」という湯川さんについて、後藤さんは「明確なビジョンはなく、紛争地の経験は乏しそうだった」と話していた。
その結果、遠く渇いた大地で、自分の道理が通用しない相手にむごい殺され方をしまうことになるんですが…
シリアで何をしたかったのか?
湯川さんのお父さんの言葉が忘れられません。
正一さんは、帰国後の湯川さんについて「シリアに持参した医薬品などが喜ばれたと話し、『自分にできることが何かあるのではないか』と生き生きと語っていた」と振り返る。
本来ならやるべきことは決まっていて、PMCを民間軍事会社として軌道に乗せないといけないはずです。しかし自己実現と趣味の仕事がごっちゃになっているところに、シリアからの早くまた来てくれメールと人の役に立っている感がプラスされて、いてもたってもいられなくなったのが実際のところでしょう。
この辺りが、後藤さんの言うところの『明確なビジョンはなかった』なんだと思います。
ただ僕が考えるには、湯川さんはぼんやりと自己実現以外の自分のやるべきことが見えてきていたんだと思います。根はやさしくておせっかいな人ですから。
僕は度々隣の家で怒鳴り声が聞こえる場所に住んだ事がある。
僕は、こう言うのダメなんだ!どうしてもほっとけなくなり
間に入る。正義感が強いからかな。僕の呼びかけは当然外から
は聞こえないので、玄関先まで入り声をかける。すると酒乱の
男性の声は静かになる。
その後、僕の復活はヤフオクを通して知り合った、女性の
人助けから始まる。借金清算や身の回りの助けをする事で、横浜市
から栃木県に引越し、助けてあげるのだが、引越し先で恋人が
でき、また新たな人生経験をするのだ。(今は別れたが。)
後藤さんの忠告を聞いて、遠回りでも少しゆっくりでもいいから経験を積んでいけばこんなことにならずに、またPMCとは違った形での紛争被害者の支援なども出来たのではないかと思います。
遺体は日本に帰ってくるのでしょうか?帰ってこないとしたら、あまりにも不憫です。
(随時修正)
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